interview

『ForMula』相互インタビュー

『ForMula』相互インタビュー

【MA$A$HIからFake?への5つの質問】

MA$ASHI:8th wonderの『ヴァルハラ』は9年前の作品だけど、リリックを書く視点は当時とどのように変わった?もし変化しているとすると、なぜだと思う?

Fake? :あの頃は、三人共だけど、自分の存在証明ばかりを歌っていたような気がするんだよね。俺は一体何者なんだ的な。『ヴァルハラ』をリリースした時点で、何かそういったものは出し切ったというか、「欲」みたいなものを歌うのは終わりだと感じた。それはヒップホップの良い部分でもあるし、悪い部分でもあるのかなって。それから「ケルベロスからの手紙」(『ヴァルハラ』収録)のKSK の初めのラインを聞いた瞬間ハッとしたんだよね。個人的にはあの曲は自分との対決、勝ち負けみたいな所に焦点を当ててるんだけど、KSK は「引き分けの引き金にもしゃべらせてくれ」ってはじまるんだよね。なんだよ!引き分けって!(笑)でもラップに引き分けの曲なんてないなって思ったし、あのアルバムがなければ、今のスタイルには落ち着いてなかった気がする。それから海外に旅をしたのも影響してる。アメリカでは間近で憧れのラッパーのショウを見たり、仲良くなったやつらがいたり。一人称で書かかれている曲が、世界中で一体何百万曲あるんだろう?と思った。もっと自由な発想で書いてもいいのかなって。赤ん坊の気持ちになってみたり、女性の気持ちになってみたりとか。小説家は自由にキャラ設定出来るのに、ラッパーになると出来ないのはおかしいなって思ったりしたんだよね。

MA$ASHI:3.11の影響がリリックに表れていると聞いたけれど、どういった点なのかな?

Fake? :あの日起こった事がリリックにどう影響してるか正直わからないけど、マインドがかなり変わったかも。マインドが変わるから、書く内容も変わる。その年に息子が産まれたって言うのもあるし、下ばかり向いてても仕方ない!笑いたい!笑わせたい!気持ちも上がりたい!ってシンプルに思ったよね。それ以来、ホームレスの人を街中で見かけたりすると、食べ物を渡したりすることもあって。初めは心の中でいいことをしたなとか、こう言う事をしたから自分に何かいいことあるだろ?みたいな気持ちがどうしてもあるんだけど、それに慣れてくると、そういう行為も特別なことではなくなる感覚があった。でも正直3.11前まではそんな事を考えた事もなかった。他人のことを真剣に考える様になったのはあの日以来かも。だからリリックも自分の事ではなくて、他人にどれだけ憑依出来るかって言う所にフォーカスを当ててるんだと思う。

MA$ASHI:これまではFake?としての自己の暗部を曝け出すのがひとつのスタイルだったけれど、今回はそういった「負の一人称」みたいなものから離れて、様々なキャラクターの視点を用いているよね。理由はさっき言ってた3.11のこともあると思うんだけど、そこにどのような可能性を感じている?

Fake? :昔から聞いてくれている人なら知っているかもしれないけれど、子供の頃のいじめの経験をリリックにした「独白」(2003年)とか、19歳頃の自分のDV経験を曲にした「ガジュマルソングス」(2009年)なんかは、トピックが重すぎて聞いていてただ苦しいだけだと思うんだよね。当時リリック書いてる時にはよく小説を読んでたんだけど、小説ではやっぱり登場人物が多かったり、海外モノであれば描写も日本とは違ったり、SFであれば舞台が地球じゃなかったりすると。そういう影響を受けて、逆にライムで誰かに憑依するっていうフィルターを使って自分の考え表現した方が伝わりやすいし、聞き手も楽しめるんじゃないかなって。たとえば「Onomatopeace」では奧さんが出産のために入院してる産院からの帰りに旦那がカフェに入って、昔付き合っていた女性の事を思い出すって話なんだよね。別れた今でも友人関係が続いていて、女性の方は海外に移住して二人目の子供が出来ていて、自分ももうすぐ父になるという。ラップの場合は、ライムには鉤括弧はつけられないわけだけど、リリックシートにも昔の彼女との会話の部分にはわざと鉤括弧をつけないで、昔の彼女との会話なのか、今の奧さんとの会話なのか、読み手が考えてくれるような仕掛けを入れたり。今はそんな風にラップとして実験できる語りや描写でライムすることの方が究極的な面白さなんだなって思える。

MA$ASHI:今回も韻を踏むことには忠実で、こだわりが感じられるけど、ライミングとはFale?にとってどんなもの?面白さはなんだろう?

Fake? :フリースタイルする時もそうだけど、シンプルに、ライムしながら意味を繋げるってことに重点を置いてる。未だにこの言葉とあの言葉で韻を踏めて、さらに意味が通ったって時に感動するし、ワクワクしてる。仕事中なんかも延々とフリースタイルしてるからね。ただただ楽しくて仕方ないことを見つけてしまったという感じ。これから先、何歳になってもやれるんだから、本当にラップすごいなって(笑)。

MA$ASHI:俺のビートは『ヴァルハラ』の時代と比べてどのように変化したと感じる?それからビートに対してはどのようなラップを心掛けた?

Fake? :昔はヘヴィなサウンドが多かったけど、今回のビートは落ち着いたトーンが意外だった。MA$ASHIも8th wonderの活動でビートの部分で欲とか膿を出したから、今は自分が本当に好きなビートを作ってるんだと思う。今の若い10代とかのラッパーとかは、おそらくトラップなんかの影響もあって、メロディーとかフロウを重視してる感じがある。だけど俺のラップは抑揚があまりない分、ビートのラップのキーの一致は気にしてる。一曲一曲、もしくは一小節ごとに、究極の表現を目指すことは変わらないよね。特にMA$ASHIとやるときは。MA$ASHIが今後トラップ的なビートを作ったら、他とはまた違う感じでハードコアでメタルっぽくなるなら、それに合わせたリリックなんかを書くのかもね。今回の『ForMula』の後は、またテイストの違う曲を作りたいと思うし、全然真逆なビートの上でラップもしたい。まだまだ日本人が日本語でやるヒップホップにも新しい可能性を感じるから、楽しみながら、続けて行きたいと思う。

【Fake?からMA$A$HIへの5つの質問】

Fake?:家庭や仕事があり、その中で批評家もやりつつ、ビートも作りラップもする。MA$A$HIと吉田雅史。もう二人位まさしって人がいそうだけど(笑)、そのエネルギーはどこからくる?

MA$A$HI:10年前に30歳を越えた頃から、特に音楽を通した個人的な経験から、今日当たり前に思っていることが明日も続くとは限らないという思いが強くなって。平たく言えば、いつ人生に終わりがくるか分からないっていう。ディラとか、2パックとか、プリンスとか、ワーカホリックな人たちへの憧れもある。もちろん彼らに比べるのはおこがましいけれど、まだまだ、全然もっとできるなと。あと批評や物書き界隈にも超人がたくさんいるので(笑)。みんな凄い。でも継続できないと本末転倒なので、継続できるようなやり方を第一に考えてはいる。

Fake?:今回の「Formula」やMeisoとの「轆轤」 8thの頃のサウンドとは大分違うけど、自分の中で何か変化やビートに対する部分でなにか思い入れはある?それから今回のアルバム構成や、タイトルに込められてる意味があるなら教えてほしい。

MA$A$HI:8th wonderという名義での活動には、メンバー3人の出自であるヒップホップとハードコア/メタル、そしてアブストラクトっていう3点を踏まえたミクスチャーという前提があった。今後も8th名義でリリースする場合にはこれを踏まえると思う。でもその枠組みを外してビートメイクするときには、ラップものなら当然誰のラップが乗るのかを考慮してビートを作るわけだけど、Meisoとやるならダントツでヒップホップらしいビートでやりたいなと。『轆轤』の何曲かを占める90年代的なブーンバップって、過去にはかなりの数作って来たけど全然リリースしたことがなかったので、そこは新鮮だった。けれど90年代的なビートを作るってのは実はずっとやって来たことでもあった。でも『ForMula』はまた違って、これは『轆轤』よりも前の2014年くらいに作ったビートがほとんどで。こちらは当然8th wonderの3分の2なので、その空気感を引き摺りながらも、当時はMoogのLittle Phattyっていうシンセを機材に追加したことで、ビートへのシンセの乗せ方を試行錯誤した時期でもあったから、それは表れてる。それからアルバムの構成は分かりやすくインストとラップ曲が交互に繰り返されるわけだけれど、まずラップ曲があって、その他のインスト曲は全てインタールードとして設計したんだよね。Fake?と二人名義のアルバムなので、Fakeがラップをするように、こちらはビートで物語なり、ヴィジョンなりを発信したいという感覚。それから各ビートのタイトルは確かに意味深だと思うけれど、これは基本的に自分がこのビートにリリックを乗せるとしたらこのテーマで書く、というのをタイトルにしてる。自分自身がそれぞれのビートに見ている物語やヴィジョンに名前を付けてる感覚かな。

Fake?:今アメリカだけでなく日本でもトラップ的なサウンドが多いけど、敢えてそこへは行かず、でも単に懐古的なブーンバップとは言えないような感じの音作りをしたのはなにか狙いがある?

MA$A$HI:実は別のプロジェクトではトラップやフットワークの快楽に従ってビートも作ってるんだけど(笑)。ループを基本にしながらもオールサンプリングではなくて、シンセや楽器を弾いたパートと組み合わせることが自分にとってはある種のチャレンジだったと。ブーンバップ的なビートに関しては懐古趣味的に聞こえるかもしれないけれど、それをベースに何をプラスアルファするのか、自分の中ではそういったチャレンジを続けることが重要で、そういった要素がないと飽きてしまうかもしれない。

Fake?:今現時点で使ってる機材を教えてくれる?後どういう時にビートを作る?ラップはメモだったり、声を録音出来たりできるけど、ビートは座って作るよね?どこから組み立てる?

MA$A$HI:ハードウェアサンプラ―はMPC60II、MPC3000、SP1200をそれぞれ用途に合わせて使っていて、DAWはLogic、ソフトはたくさんあるけど主なものはMaschineやSerato Sample、Massiveなど。組み立て方はなるべく毎回色々なアプローチを意識しているけれど、サンプリングメインで作るときは、ネタ選びのリスニングから始めるというのは何度繰り返しやっていてもワクワクするプロセスだね。毎回このサンプリングのループが世界を変えるかもしれない、くらいに思っているので(笑)。そこまで行かなくても、ある人にとっては一生記憶に残り続けるループになるかもしれない、というような。自分にとってはビートマエストロたちの作ってくれたずっと記憶に残るビートが数多くあるので。サンプリングメインでない場合も、ビートだったり、シンセやギターの手弾きのフレーズだったり、結局のところそういったループさせるピースから始めるから、どんな場合でもやっぱりループの快楽を探るところから始める感じだね。

Fake?:「日本語ラップ」という言い方自体違和感があるし、ラップは世界中で行われているけれど、自分はいつまでやり続けるのかとか考える?いつかプレイヤーから離れて、たとえば教える側に回ることなんかになったら、どんなことをしてみたい?

MA$A$HI:昔はラッパー35歳定年説っていうのがあったけど(笑)、もはや定年とかありえないよね。だってシンガーだとハイトーンが出なくなってしまうとかあるけど、ラップって喋ることができる間はいつまででもできるでしょ。声を加工せず地声でパフォームするラッパーなら尚更そうだよね。もちろんリズム感とか発声の問題はあるにせよ。そんなこともあって、ビートメイキングもラップも能動的にやらなくなる日が来るとは考えられない。この間ダースレイダー氏と話をしていたときに出た話題なんだけど、スポーツと一緒で若い選手はどんどんスキルを吸収して強くなる。じゃあ、ある程度上の世代はどうかというと、スポーツで勝つためのスキルというよりも、逆にスポーツや競技から外れて、独自のスタイルを探ることができる存在なのかなと。声と音楽を使った表現という意味ではまだまだ色々な方法論があると思うから、ヒップホップ度をキープしつつもどこを拡大解釈できるのか今後もっと挑戦したい。それから教えるというのはもっと適任の人たちがたくさんいると思うんだけど、ラップのフロウやライムがどんな仕組みになっているのかということをもっと言語化したり視覚化していきたいという思いはある。それも批評の仕事のひとつなんだろうなと。